モットーはケセラセラ

モットーはケセラセラ

ぼちぼち育児のあれやこれ

おしんを見ています!人生なんとかなる話

こんにちは。

 

今日も寒い。明日も寒い。
冬至が近くなって朝が遅い。そして、夜が早い。
つまり、日が短くてなんとなく眠い。
なんか冷たい雨も降りそうだなあ。

 

とは言え、数ヶ月したら春が来て、あったかくて優しい日差しがまた降り注ぐ。
花粉症の人は辛いかもしれないけれど、私は大好きな春。

 

聞きがちだけど、今日はそんな「冬来りなば春遠からじ」なお話です。

 

ブログのタイトルにもなってる、
モットーはケセラセラ

 

最初の記事(このブログについて)にもあるように、
ケセラセラ」は私の10代後半からの座右の銘
ずっと側に置いている言葉です。

 

何かの番組でオードリーの若林が、
「本棚を見られるのは恥ずかしい。自分の弱点が見られるようなもの」
というようなことを言っていました(記憶違いだったらすみません)。

 

私の座右の銘も、
ちょっとそうゆうところがあって。

 

そこが私の弱点なのです。
ケセラセラ、となかなか思えないことが。
直感的にそう思えないから、忘れないように座右の銘として側に置いているのです。

 

何かつらいこと、しんどいことがあると、
そればかりに目を取られてしまいがち、それが私の弱みなのです。

だからこそ、ケセラセラを側に置いているのです。

 

詳しいことはあまり書かないけど、
私もこれまでの人生で、人並みかそれかちょっと人並みより多いくらいに試練がありました。

 

試練の間は、ずーっとそればかり見ている私。
そんなことしてたら、余計苦しくなるのに。
もうちょっと先に視線を伸ばすと、ずっとその試練が続く訳ないのに。

 

ムスメが生まれてからも、実はなかなかに試練があって、ムスメを育てる喜びと共に、別の苦しさも味わっていました。

 

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ムスメ、お昼寝なう。かわいい。たまらん。

 

 


そして、やっとここでおしんの話です。

4月からBSで、朝おしんが放送されています。
途中からしか見てないんだけど、たまたま見始めて、ハマっているのです。

 

Wikipediaによると、おしんは1983年4月4日から1984年3月31日まで放送されていたそう。
高い視聴率を誇り、海外でも放送されたとか。
戦前から戦中、戦後の混乱期を生きた女一代記の一つだそう。

 

私は、幼少期編を見ておらず、
青年期も、主人公のおしんが、東京で結婚生活を送っていたのに訳あって、義実家である佐賀で暮らし始めたところから、つまりめちゃくちゃ途中しか見ていないのだけれど、今は毎日時間になるとテレビにかじりついています。

 

何がそんなに私を惹きつけるのか。

 

あらすじはねえ、実は知ってるの。結末も。
見始めたときに、暗すぎて辛くて見ていられなくて、もう初めにあらすじを読みました。
めっちゃ長いんだけどね、Wikipediaで。
私はそれでやっと安心して見ていられます。

 

だから、次どうなるのか、とかそんなことじゃなくて。

 

見ていると、もうおしんの人生は、とにかく苦労続きなんです。
佐賀にいても苦労、東京でも苦労、山形でも苦労、伊勢でも苦労、苦労、苦労、苦労…。
ほんとすごいよ。

 

でもね、ずっとそればっかりじゃないの。
ずっとそんなことが続く訳じゃないの。

つらーーーいこともあるけど、
それでも前を向いてか向かずか、とにかく人生は進み、そしてその人生は悪いことばかりじゃない。
楽しいことも、嬉しいことも、幸せなこともあるの。

 


それでね、見てたら私は、
自分の人生の苦労なんて、大したことないなって思うのです。
これくらいの苦労なんとかなるよって。
そういう風に思えるのです。

 

ケセラセラ、人生なるようになるさ」と。

 

いやはや、これからもね、自分の人生の中でずっとこう思い続けられるかは分からないけどね。
実際、試練を前にしたら、そう思い続けられない可能性が高いけどね。

 

明日のおしんも楽しみです。

 

ほな、また。